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金沢医科大学 腎臓内科学教授 横山仁先生

医学部進路の決め方

Q1.先生が医師になられたきっかけについて教えていただけますか。

富山県で生まれ、高校は富山中部高校でしたが、塾に行ったことがなく、高校の授業を中心に学習し、現役で金沢大学医学部に進学しました。元々は生物物理学を専攻したいと思っていたので、理学部に進学しようと考えていました。父は富山県の高等教育におけるコンピュータ教育の草分けで、父からは東京工業大学の五類に進学することを勧められました。その後、進路について父と相談し、医学でも分子生物学が重要になる事が予測されたこともあり、金沢大学医学部に進学することにしました。家系から医師になったのは私一人で、医師の家系だったということはありませんでした。

金沢医科大学医学部

Q2.先生が医師になってから現在までのことについてお聞かせください。

金沢大学医学部を卒業後、しばらく金沢大学に残って臨床研修や研究を行い、ハーバード大学Brigham and Women 病院腎臓内科研究員としてアメリカに留学しました。留学先の病院は世界で初めて移植した腎臓の長期生着に成功した病院で、ブレンナー教授という腎臓学の第一人者の下で最先端の医学研究を行いました。ハーバード大学では毎週のように利根川進先生(当時MIT教授)を始めとするノーベル賞受賞者やノーベル賞受賞候補者を招いての講演会が行われていましたし、内科の合同会議は世界的権威が居並ぶ中で行われていましたので、毎日がとても刺激的な日々でした。その後帰国し、金沢大学を経て、現在は金沢医科大学で教育、臨床、研究活動を行っています。

金沢医科大学医学部

Q3.金沢医科大学について特徴など教えてください。

石川県には私の母校でもある金沢大学医学部と、金沢医科大学という2つの医学部がありますが、金沢医科大学は創設時から、能登半島の地域医療をカバーすることが大きな課題でした。現在もその役割は変わらず、金沢大学医学部とも良好な関係を維持しており、交流も盛んです。
金沢医科大学は、一時期医師国家試験への合格率が低迷した時期がありました。2010年に勝田省吾先生が学長に就任し、私は教務部長ならびに国家試験対策委員会委員長に指名され、まず始めに合格率向上のためにグループ学習の導入等、改善に取り組みました。さらに、学習環境の充実のためにスチューデントドクター医局を6年生向けに開設し、オンデマンド、夏期講習や冬期講習、合宿なども取り入れてきました。指導する側もファカルティ・ディベロップメント活動などによる積極的な自己研修とともに教育改革を推進し、特に成績が芳しくない学生には教育指導教員がマンツーマンで対応するなど、様々な工夫を凝らしています。
さらに、初年次教育を大切にしていて、授業への遅刻・欠席等の生活習慣からの見直しやクリティカル・シンキングの導入等により能動学習ができる学生を育てています。それ以降は、特に2年生から3年生になる際の進級が大変です。4年次の進級では、共用試験(CBT)において全国基準で一定レベル以上の取得を要件とするとともに、6年生は必ず医師国家試験に合格できる学力をもって卒業させています。医師国家試験合格率向上のための改革以降、学習環境を整備した結果、学生は自分から率先して勉強するようになりました。さらにグループ学習等によって自らの知識と技能を定着させ、教育の金沢医科大学として、学生に付加価値を提供したいと考えています。

金沢医科大学医学部

Q4.医学部を目指す生徒と保護者の皆様にメッセージなどありましたらお願いします。

医療の道に進むことに家族間で話し合ってから医学部に入って勉強してほしいと思います。しかし、確固たる意志が入学時になくても、金沢医科大学で実際に早期医療体験や学外臨床実習等で地域医療の現場に参加したことで、実家の医院や病院が地域医療を支えていたことを再認識して、医療人としての自覚が芽生える学生も多くいます。金沢は四季折々自然豊かな土地柄で、最初の冬さえ耐えれば勉強には適した地域です。ここで多くの学生を建学の精神でもある「良医」に育てていけたらと考えています。

関連リンク 金沢医科大学ホームページ

よこやまひとし
横山仁先生 略歴

略歴
1980年3月  金沢大学医学部医学科卒業
1984年3月  金沢大学大学院医学研究科内科学第一修了(医学博士甲688号)
1987年4月  金沢大学医学部附属病院第1内科助手
1992年4月  金沢大学医学部講師併任
1992年8月  米国Brigham and Women 病院腎臓内科研究員・Harvard大学医学部講師
1993年9月  金沢大学医学部附属病院血液浄化療法部助手(医学部講師併任)
1994年4月  金沢大学医学部附属病院血液浄化療法部助教授(副部長)
2002年4月  金沢大学医学部附属病院血液浄化療法部部長
2006年4月  金沢医科大学医学部腎機能治療学(腎臓内科)部門教授(2010年4月に腎臓内科学 主任教授へ名称変更)
2008年4月  金沢医科大学病院副院長(総務・教育担当)(2010年9月まで)
2010年10月 金沢医科大学医学部教務部長(2013年8月まで)
2013年9月  金沢医科大学医学部長(現在に至る)

所属学会
日本内科学会(認定内科医,評議員)
日本腎臓学会(専門医,指導医,監事)
日本高血圧学会(指導医,評議員)
日本アフェレシス学会(専門医,評議員)
日本移植学会・日本臨床腎移植学会(認定医,評議員)
日本透析医学会(専門医,指導医,評議員)
日本リウマチ学会,米国腎臓学会,欧州腎臓学会,国際腎臓学会,国際アフェレシス学会・会員

社会活動
公益法人石川県臓器移植推進財団・常務理事

賞罰
厚生労働大臣表彰:移植医療普及推進(平成24年10月13日)