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元産業医科大学学長 東敏昭先生

医学部進路の決め方

Q1.産業医科大学の特徴についてお聞かせください。

昭和47年に労働安全衛生法が制定されたことが、産業医科大学設立のきっかけでした。法律の施行によって産業医の需要が高まり、労働衛生管理に精通した産業医の確保が緊急の課題になったことから、昭和52年に設立認可を受け、翌年に産業医科大学が設立されました。設立に際して、大学をどこに作るのかという議論が巻き起こり、関東や関西などに大学を作るべきではないかという意見もありました。しかし、北九州市には当時、政令指定都市で唯一医科大学がなかったこと、産業の中心地だったことなどから、招致活動にあたり地元をはじめ多くの方々から強い要望がありました。このような背景もあり、北九州市に産業医科大学が設立されました。
産業医科大学では、労働者の健康管理を行う産業医を養成しています。産業医は産業を支える人々を診察する医師ですから、基本的な知識や技術を身につけることはもちろん、多角的に人の健康状態を判断できなければなりませんし、産業医としての特別な知識を修得する必要もあります。更に、仕事をしている人々と接する際に必要な教養やコミュニケーション能力、少ない医療スタッフを適切に指導するマネジメント能力も必須です。産業医として優れた医師を目指すと同時に、人としての魅力を兼ね備えた医師になる必要があると言えるでしょう。
今後は社会の高齢化が更に深刻化することが予想され、企業の定年年齢が見直されることに伴い、労働者が高齢化することも想定されます。加えて、働く人々の健康問題が複雑化しても対応することができるよう、学生への高次教育をこれからも行っていくつもりです。
AIが発達し、社会のあり方は変わるかもしれませんが、社会が人間のために存在している以上、人間が必要なくなることは考えにくいと思います。人間が作りだしたサービスを良いと考える限り、仕事はなくなることはないと思いますし、仕事がある以上、人々が働く能力を最大化することが我々の役割だと考えています。
また、哲学する医師を目指し、自分で考える力を養うことを意識して教育していきたいと思います。産業医として産業全体を見渡す能力を養成していくことはもちろんですが、さらに、国際認証を目指すため、国際的な教養及びリサーチマインドを持った意欲あるオールラウンドな医師を育てたいと考えています。

産業医科大学

Q2.先生のことについてお聞かせください。

私は高校から開成高校に通いました。もともとは日比谷高校に進学するつもりでしたが、中学校の担任の先生の勧めで開成高校へ進学しました。開成は予備校へ行かなくても良い仕組みでしたので、予備校へは行ったことがありません。当時から開成のレベルは高く、受験では早稲田や慶應を滑り止めに使うほどでした。学生時代はまだ全共闘が盛んでしたので、中学三年の時に東大で安田講堂事件があり、高校三年の時には浅間山荘事件がありました。開成での一番の思い出は何と言っても運動会です。開成の運動会はとても盛り上がり、みんなで戦術や戦略を考えながら必死で取り組みます。勉強そっちのけで熱中しましたし、同窓会では未だに運動会のことが話題にのぼります。開成を卒業した私は、慶應大学の医学部へ進学しました。
医学部入学後は、推理小説を読むことが趣味だったこともあって、法医学に興味がありました。しかし、法医学の授業をしてくださる教授が当時いませんでした。大学三年の頃から医事振興会に参加するようになりました。医事振興会では、新潟県の豪雪地帯での健康診断を含む地域保健活動を行いました。この活動をきっかけに、公衆衛生学に興味を持つようになりました。卒業後も公衆衛生学に関連して、大気汚染や職場の環境汚染における肺疾患について研究しました。その後も職場の環境汚染に関して、喘息やアスベスト、カーボンによる人体への影響を研究しました。産業医学が慶應で盛んだったこともあり、様々なサポートを受けながら大気汚染の呼吸器に対する影響についての研究を行うことができました。

産業医科大学学長 東敏昭先生

Q3.産業医科大学への進学を希望する受験生にメッセージをお願いいたします。

医師になる以上、人間が好きであること、正しい倫理観を持つことは大前提になります。さらに、産業医になる、社会医学の専門家になるからには、新聞を読む習慣を身につけて欲しいと思っています。また、医学部入学をゴールとは思わず、入学後も勉強をしっかり行ってください。社会から投資を受けている以上は留年することなく、順調に進級し、卒業して欲しいと思います。

産業医科大学

Q4.50年後の産業、社会はどのようになっていると考えておりますでしょうか。

今後はさらに情報化された社会になることが予想されます。その中で、どういう人生観、価値観を持つかが重要であると思います。働く人々の健康状態に合わせて治療方針を決めていくことが将来的にも必要となります。人口が減少していく中で、人々の社会参加を維持すること、健康寿命を延ばすことが重要です。行き過ぎた個人主義よりも、公共の精神を持つことが必要であろうと思います。技術の進歩によって資源の問題は解決されるかもしれませんが、これからの社会の高齢化に対応するための医療体制、富の再分配に関して、幅広く議論すべきではないでしょうか。

関連リンク 産業医科大学ホームページ

ひがしとしあき
東敏昭先生 略歴

略歴
昭和47年3月  開成高校卒業
昭和53年3月  慶應義塾大学医学部卒業
昭和53年4月  慶應義塾大学医学部衛生学公衆衛生学助手
昭和61年4月  慶應義塾大学医学部衛生学公衆衛生学専任講師
昭和63年4月  産業医科大学産業生態科学研究所助教授(産業保健管理学研究室)
平成元年    マクギル大学(カナダ)訪問助教授
平成4年8月   産業医科大学産業生態科学研究所教授(作業病態学研究室)
平成16年4月  産業医科大学産業生態科学研究所長
平成23年4月  株式会社デンソー北九州製作所理事・経営管理部産業医
平成26年4月  産業医科大学学長
現在に至る

所属学会
日本産業衛生学会
日本衛生学会
日本公衆衛生学会
国際労働衛生学会

専門分野
産業医学