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浜松医科大学理事(教育・産学連携担当)・副学長 山本清二先生

医学部進路の決め方

Q1.浜松医科大学の特徴についてお聞かせください。

昭和49年の開学以来、地域に根ざした医療を目指してきました。近年は、地域の医療機関や、大学の教員などにも浜松医科大学の卒業生が増えてきました。優れた技能を持つ臨床医と高度な研究を行う研究医の育成を行っています。基本的に、学生は臨床志望ですが、臨床関連の研究を行っている講座に触発されて研究に関心を持つ学生は増えています。しかし、基礎医学を志望している学生は非常に少ないのが現状です。新カリキュラムでは、三年時に基礎配属(基礎医学系研究室への配属)の期間を設けて基礎研究に興味を持つ学生を確保しようと努めています。
入学してくる学生の約半数は静岡県出身の学生です。県内の高校が推薦入試などを通して優秀な学生を送り出してくれ、質の高い県内出身の学生を多数確保することができています。静岡県内の学生は推薦入試の他にも一般入試で入学してくれるため、多くの学生を県内から確保することができています。卒業生も多く県内に残ってくれていますので、地域医療にも大きな貢献ができていると思います。私も、高校の三者面談が始まる時期に各高校を訪問して浜松医科大学についての説明を行ったり、相談を受けたりする機会を設けています。また、浜松医科大学のOBが大学と高校の橋渡しをしてくださることもあり、研究室訪問を手助けしてくださったり、浜松医科大学の良さを受験生に紹介してくださったりと様々なサポートをしていただいています。

浜松医科大学

Q2.浜松医科大学の教育に関する特徴をお聞かせください。

医科単科大学であることを生かして、柔軟にカリキュラムを編成することが可能です。看護学科と共同で行う実習や医療施設への訪問を入学後早い段階で行うことができる他、部活動などの課外活動においてもコミュニケーションを取ることができることは大きな強みです。学生への支援に関しては、充実した環境を整えることを目指して、研究棟や臨床棟の改築であったり、グループワークがしやすい施設の整備や図書館の充実を進めています。学生は静岡県内から通っている学生であっても、五年生になって実習が始まると忙しくなり、大学の近くに下宿することが多いようです。
世界医学教育連盟(WFME)の国際基準をふまえた医学教育プログラムへの変更に伴い、医学の学習を始める時期が早くなりました。また、長期の休暇も短くせざるを得ず、夏休みは二週間ほどになってしまうと思います。教養の講義は一年時に行うことになります。これは学生と教員との距離が近いゼミナール形式での講義となり、医師として必要な教養を身につける非常に良い機会となっていると思います。
国際交流に関しては、国外の15の提携校と連携して、二週間から四週間の実習を海外で受けられる体制を整えています。留学に行った学生は帰ってきてから下級生に向けてプレゼンテーションを行ってもらっています。学生に日本と海外の違いを肌で感じてもらうことで、知見を広げて欲しいと考えています。ドイツなどで本格的なクリニカルクラークシップを経験してきた学生からは、日本での医学部六年生はドイツでは四年生くらいなのではないかという言葉も聞かれます。非常に良い刺激を受けている学生が多いのではないかと思います。国家試験を受ける都合がある以上、中々本格的に海外で研修を受けることは難しいのが現状ではありますが、もっとハードルを低くすることはできないかと考えています。
国家試験に関しては、CBT、内科の卒業試験、国家試験模試の成績が悪い学生は国家試験の合格が危ぶまれます。個別に面談を行ったり、健康管理に気を配ったりすることで国家試験への合格を後押ししています。基本的にはグループ学習が多いようですので、学生同士で集まって勉強しているようです。

浜松医科大学

Q3.先生ご自身のことについてもお聞かせください。

私は和歌山県の出身ですが、小学校は大阪、中学校は東京、高校は千葉でした。父が転勤族だった影響で、全国をあちこち移り住んでいましたが、浜松医科大学には一期生として入学しました。当時国会の法案可決が遅れた影響で、六月の受験となり、倍率は36倍という恐ろしい倍率でした。高校は県立千葉高校でしたが、現役の時に合格することができず、一年間は京都の駿台予備校に通って勉強しました。医師を目指した明確な理由はもう覚えてはいませんが、母からは私が幼い頃に大病を患ったことをあげて、医療に恩返しするようにと聞かされており、その影響が一番大きいように思います。
大学卒業後、脳神経外科の道に進んだのは、神経のことは当時まだ何もわからない時代であったことと、外科に進んで直接患者さんを治したいという思いがあったことが大きく影響しました。当時一期生でしたので、開学当時の附属病院にあまり患者さんが多くなく、夏休みにもグループで臨床実習に行きました。その時に脳神経外科に興味を持ったことも大きなきっかけでした。一期生でしたので、何かと大変な思いをしたこともありますが、浜松には1874年開校の医学校(浜松県立病院附属医学教場)があり、ちょうど100年後にできた新しい医科大学であったとのことで私たちは地域の人々に非常に大切にされ、卒業生の多くが県内に残りました。私の同級生でも、静岡県内の病院長になった人が非常に多いように思います。
その後、コーネル大学に留学しましたが、これは完全に自分で希望し、アプライして留学しました。それまでは臨床を中心に活動していましたが、当時脳の病気は治らないことも多く、歯痒さを感じていたこともあって、大学に戻してもらって留学しました。留学に当たっては、自分の興味のある領域の研究者に手紙を書いて留学させてもらいました。アメリカでは文化の違いもさることながら、非常に研究が面白かったことが強く印象に残っています。帰国後は大学に残って研究と臨床の二足のわらじを履くことになりました。帰国後は研究センターにおいて企業との共同研究などを通して、医工連携などにも積極的に取り組んでいます。また、人材育成が必要であるとの考えから、静岡大学との共同大学院のプロジェクトも進めてきました。

山本清二先生

Q4.浜松医科大学を目指す受験生にメッセージをお願いします。

基本的には医学は人を相手にする学問です。困っている人がいたらなんとかしてあげたいという思いを持っている人に医学部に来て欲しいと思っています。医学部に入学した後は、人々を助けるために医師免許を持っていることで様々な活動をすることができます。臨床医や研究医の他にも、保健所で働いたり、医務官として厚生労働省に入り、国のために働いたりと、様々な進路があります。多くの受験生は、医学部に入学した後に無限の可能性を感じることができると思いますので、自分の将来に関しては大学に入学した後にじっくり考えて欲しいと思います。まずは、出発点として人間に対する興味や、困っている人を助けてあげたいという思いが必要であろうと思います。

関連リンク 浜松医科大学ホームページ

やまもとせいじ
山本清二先生 略歴

現職
浜松医科大学 理事(教育・産学連携担当)・副学長
脳神経外科専門医、脳卒中専門医、博士(医学)

略歴
1980年 浜松医科大学医学部医学科卒業
1985年 焼津市立総合病院脳神経外科 科長
1988年 浜松医科大学附属病院脳神経外科 助手
1991年 米国コーネル大学医学部神経学神経科学 研究員
1993年 浜松医科大学脳神経外科 助手
1994年 博士(医学)(浜松医科大学論文博士課程 第185号)
2000年 浜松医科大学光量子医学研究センター(現 光尖端医学教育研究センター)助教授 (現 准教授)
2011年 浜松医科大学産学官共同研究センター長(現 産学官連携推進部長)(兼任)
2012年 浜松医科大学メディカルフォトニクス研究センター(現 光尖端医学教育研究センター)教授
2014年 学長特別補佐(広報・社会貢献担当)(兼任)
2016年 現職

先端医療開発特区(スーパー特区)「メディカルフォトニクスを基盤とするシーズの実用化開発」に採択され医療機器を開発。医工連携研究成果に高い独創性を発揮し、製品化2件(内視鏡手術ナビゲータ、デジタル咽頭ストロボ光源)を達成し、薬事相談後に申請準備中の事業化版試作機を2件(手術用立体内視鏡、 内視鏡手術用超音波診断装置)「デジタル咽頭ストロボは売上1億円以上を達成。産学官共同連携センターでは同学知財活用推進本部との協働により、大学内外における産学連携・医工連携の「ワンストップ窓口」として、医療機器の開発・事業化の支援から、薬事規制の相談、医療ニーズの収集、医工連携のマッチングまで幅広く対応。JST地域産学官共同研究拠点整備事業「はままつ次世代光・健康医療産業創出拠点」研究統括を務める。

原著論文(英文) 92編
出願特許 国内38件、国外27件
登録特許 国内19件、国外15件
企業へのライセンシング2件