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新潟大学医学部長 染矢俊幸先生

医学部進路の決め方

Q1.新潟大学の特に良い点と教育カリキュラムの特徴についてお聞かせください。

新潟大学医学部は、1910年(明治43年)官立新潟医学専門学校として創立、その後6番目の国立大学医学部として官立新潟医科大学に昇格。1949年(昭和24年)に新潟大学医学部になり、以来、医学教育・研究を推進してきました。2020 年には創立110周年を迎え、卒業生は一万人を超えます。世界レベルで活躍している研究者・医師も多数輩出しています。
学内の雰囲気・特徴は、古き良き伝統のある教育環境で、落ち着いて学ぶことができます。
新潟県唯一の医学部ということも、また古くから東北日本海側、北関東など幅広い医療圏を背負ってきた歴史から、地域で発生する全ての病気に対応するという責任感が都会の大学に比べて強いと思います。
県外からきた学生の中には、冬場の天候に慣れない人もいるようですが・・・雪国ならではの県民性もあって、人への思いやり、助け合い、そして全てを受容するおおらかな雰囲気があります。それが競争心や闘争心の低下に繋がっているという面もありますが、穏やかでがつがつしていない、人柄がとてもよい方が多いと感じています。他大学出身者に対して非常に開放的で、全国から優秀な教員を集めて、教育、研究、診療を行っています。また学内では、懇話会や運動会などの行事を通じて教授と学生が交流する機会が多く、人と人との繋がりを大事にした環境作りがあるのも特徴です。
研究活動では、脳神経や腎臓の研究をはじめ、がん、循環器、消化器、細胞生物学、感染症など、多くの分野で将来性のある成果を生み、国際的にも高い評価を受けています。例えば神経研究分野と脳研究所のコラボレーションによりユニークな成果を上げており、その他でも多くの基礎医学分野、臨床医学分野で世界的に高い評価を受ける研究結果が発信されています。

カリキュラムについてお話ししますと、2013年度にはじまった「医学教育分野別認証制度」により、全国の医学部は国際基準にそった教育プログラムの見直しを進めています。本学医学科は、一連の教育改革の中で、日本で最初に国際認証を受審、国際化に対応しています。
2018年1月、診療参加型の新しい臨床実習カリキュラムがスタートしましたが、これにより本学のプログラムは、全教育時間の3分の1以上を臨床実習にあてたものに刷新しました。学生は従来よりも期間も内容も手厚い、一層充実したプログラムの中で医療を学び、診療経験を重ねることができるようになりました。具体的には、臨床実習Ⅰを42週間、臨床実習Ⅱを24週間、あわせて66週間行います。1つの科を4週間回るのが理想ですが、実際に4週間にするというのはかなり難しいことで、臨床実習Iは3週間×14クールにしました。内科系が4クール12週。外科系が3クール9週。小児、産婦、精神が1クールずつ9週、計10クール30週です。あとの4クール12週を、皮膚科、泌尿器科、眼科、耳鼻科、放射線科、麻酔科、救急、臨床病理の8つで行う。2つの科で3週間実習する場合は、融合型、選択型、短期型のいずれかで行うように組みました。
昔と大きく異なるのが「参加型」という点です。学生が患者さんと医療面接をして、自分自身が情報を取るようになっています。例えば、1週目は私たち(医師)の診察を見てもらう。2週目は研修医の先生が予診をとったものをもとにそれをプレゼンする。3週目には自ら予診をとってプレゼンをしてもらう、などです。
新カリキュラムでの臨床実習のスタートがこの1月から始まって、12月でやっと終わるところです。現段階で7、8割が終わったわけですが、それを踏まえて、また来年以降、各科の中でどのような取り組みができたのか検証をしていくことになっています。
3年次の医学研究実習は、全員参加で、各教室に2カ月配属されて、そこでテーマを与えられ、教員の指導のもと研究の実際を体験します。国外で行う学生も多数います。
国際交流にも力を入れており、欧米はもちろん、中国、ロシアなど環日本海の国々やミャンマー、マレーシアなどアジアの国々との医学・医療交流も活発です。特にロシア交流では、日本の大学の中で最高の評価を受けています。夏にはinternational student weekとして、学生も参加して日中・日露医学生交流が行われています。さらに欧米やアジアでの医学研究実習、英国等における臨床実習などの機会も用意されています。

災害医療教育も新潟大学の特徴のひとつ。医師の総合力や社会性を養う意味でとても重要だと思います。私自身、阪神淡路大震災の時には滋賀にいて、新潟に来てからは中越地震を経験しました。実はその年の7月に三条の水害がありまして、五十嵐川が決壊をして、そこの住民が避難所暮らしを始めるようになりました。当初、避難所暮らしの方々に対してわれわれはどう対応すればいいのか分からず、そこで、阪神淡路から頑張っていた先生を兵庫から呼び、県の職員、医師、看護師が一緒になって勉強していたところに中越地震が起きました。まさに備えあれば憂いなし。土曜日に地震が起きましたが、すぐに災害ケアホットラインを立ち上げ、被災地の避難所に入り、改めて医師、看護師、薬剤師といった関係職種団体による災害時心のケア対策協議会を招集、多職種からなる心のケアチームを編成して、各避難所に配置しました。県外からも「どうだ? すぐ行くぞ」というすごい数のメールがきましたが、現場が混乱しないように全国の大学にメールを出し、県単位で協力し、車を手配してチームを編成、こちらが依頼するまで順番に並んで待ってくれとお願いしました。そうしておいてこちらが行く場所を決めて指示をする。県庁でオリエンテーションをして被災地に配備する。当時県庁で係長をしていた野口さんと私で全体を指揮し、2カ月間本当に大変でしたが、災害時のロジスティックがいかに重要か、とても勉強になりました。うちの災害医療教育センターではこれまでの災害医療教育に加え、災害ロジスティックにも力を入れて人材育成をしますが、単に災害医療にとどまらず、地域医療構想や地域包括ケアといった、医師の社会性、協調性、マネジメント能力の育成にも繋がると考えています。

学生には、こうした新潟の恵まれた環境で最先端の高度医療と地域医療を学び、かつ世界を見据えて志を高く掲げ、切磋琢磨し、医学・医療を通して社会に貢献できるプロフェッショナルを目指してほしいと願っています。

新潟大学医学部

Q2.新潟大学医学部が育成したい医師像。

教育理念は「医学を通して人類の幸福に貢献する」です。この教育理念に基づいて6つの教育目標を掲げ、あらゆる医療の専門領域(臨床領域、医学研究、医学行政)に進めるよう、医療人にふさわしい知識、探究心、教養、人間性を備えた人材を育成することのできる環境を整えています。教育目標の中には、医療に貢献できる人材の育成はもちろんですが、「広い視野と高い向学心を有する医学研究者・教育者となり得る人材の育成」「探求心、研究心、自ら学ぶ態度を生涯持ちつづける人材の育成」を掲げ、ディプロマポリシーにも「科学的姿勢(生涯学習能力を含む)の修得」を謳っています。

入試制度は今年大きく変わります。これまでの入試は、センター試験の得点と二次試験の得点の割合をみると、国立大学で2番目にセンター試験の割合が多い大学になっていました。「新潟はセンター重視」という声は聞いていましたし、入試データをみてもセンター試験を失敗した人が新潟大学の二次の受験を避ける傾向が出ていました。つまり、センター試験で失敗すると、二次試験の力はあっても、二次で取り返そうというチャレンジ精神を持って受験に来てくれない。そこで今後は二次で取り返せるように配点を変えました。多少失敗しても、それにめげず、チャレンジ精神を持って挑戦する人に来てほしいと思っています。
一般的に今の医学部受験は難しすぎます。その難関を突破できないと医学生になれないわけですが、一方で本当に医師としての適性があるのかという問題が出てきています。自分が果たして医師になりたいのか、医師としての自分の姿をどう描くのか、そこが一番大切です。成績がいいとか、親が勧めるからという理由で医学部に行ったものの、果たしてそれがその人にとってハッピーな人生なのかどうか。医師の仕事は、本当に医師という仕事が好きでないと続きません。

Q3.先生ご自身の話をお聞かせください。

幼稚園の時から大分県大分市で育ち、高校は県立大分雄城台高校という新設校の二期生でした。どこの地域も同じですが、戦前からの伝統校があり、戦後のベビーブームでできた高校があり、そして私の高校ができて、三校合同選抜という形で入試が行われました。私が振り分けられた高校は、新設だったので体育館ができたばかり。運動場はまだ整備されてなくて「水曜日の午後は家にカマがある人は持ってきてください」という状況でした。何をするかというと草刈ですね、運動場作り。もともと野球少年で野球部に入りたかったのですが、運動場がなく、野球部もないという状況でした。でもとても伸び伸びした、本当にいい高校生活でした。
大学の進路先は、高校生当時、数学や物理が好きでしたので、数学、物理と医学とで悩みました。結局、社会の役に立つかなというぼんやりした感覚で医学部にしました。小さい頃を過ごした田舎には町医者の先生が一人、風邪をひくとその先生のところに行く、お腹壊しても行く、その先生にかわいがってもらって、先生と話をするのが好きな子でしたので、そういう環境での医師のイメージも影響したと思います。

精神科に進んだきっかけですが、大学時代に自分のアイデンティティに悩む時期がありまして、それで心の問題に興味を持つようになりました。4年くらいまでは外科系に行くと思っていましたし、そう思われていました。友達も多くは外科系に進みました。臨床実習で回っているうちに、精神科は人の心を理解して、一人の人全体をケアするというのが面白いなと思いました。最後は小児科と迷いました。内科は細分化が進む時代でしたので、一人の人を診るという感じが少なく、ちょっと物足りませんでした。
医者は狭義の医療をするというわけではなくて、医療を通して見える偏見ですとか貧困だとか、そういうことにも目を向けるということが大切だと考えています。学生にもそれを伝えています。患者を診るということはもちろん大事だけれども、患者はなぜそういう状況にあるのか、社会の問題も含めて考えることも医療の一部です。
現代社会は価値観が非常に多様になっているので、生きづらくなってきていると思います。例えば、会社に同一化してやっていける環境で安定してやっていける人が、会社を離れると価値観が混乱してうつ病になるというようなこともありますよね。社会が成熟化する一方で、多様になって生きづらいということだと思います。そういう心の問題にとても興味があると同時に、精神が健康でないと本当にしんどいんだということを強く感じます。体が悪くても、精神が健全であれば、ある意味は豊かに生きていける、でも精神が病むとそういうわけにはいきません。

卒業3年後に滋賀医科大学へ行きますが、そこで生涯の恩師といえる、当時の教授に出会ったことはとても大きかったです。そこには本当に勉強に打ち込める環境がありました。滋賀にいるときに、国際的な精神科診断学に出会い、精神薬理学、薬理遺伝学に出会いました。一人一人の患者にとって適切な薬を、適切な量、適切なタイミング、適切な方法で投与するための研究を学び、それがライフワークとなっています。新潟大学でも、臨床精神薬理と分子遺伝のグループを立ち上げましたが、非常によく頑張ってくれていると思います。
新潟で新たに取り組んだのが「こころの発達医学」です。それまでの精神医学は大人の精神医学がメイン。しかし、大人でももともとの発達特性に伴う問題が実に多い。そのことに気が付かなくて、ただ変な人だと言われていたりします。発達特性やその障害をきちんと診断できて、対応できる医者が必要だと思っていて、新潟に来てから若い先生たちに「児童精神科医にならないか」と囁き続けましたが、最初はなかなか大変でした。3年目に入った医師が「やります」と言ってくれて、それから児童精神科医がたくさん育ってくれました。彼らと「新潟大学こころの発達医学センター」を立ち上げ、そのセンターを中心に発達障害に関する教育研究活動を続けています
また最近は「周産期のメンタルヘルス」の研究も始めました。お母さんのどういう特性が妊娠中の心理状態や療育行動に影響するのか、子供の発達にどのような影響を与えていくかという研究です。県内の産科クリニックにもご協力いただいています。

新潟に来てからの最初の16年間は教室づくりが主体で、医学部の運営に携わったのは4年前からです。医学部長から副学部長にと言われて、何度かお断りしましたが、最終的にお引き受けしました。やり始めると一生懸命やる性分なので、周りの教授からは「そんなにまじめにやるとは思わなかった」と茶化されています。
医学部長としてどれほどお役に立てるかが分かりませんが、今は、大学が社会の中で新しい姿を模索する重要な時期です。オープンイノベーション推進の取り組みを試行錯誤していまして、研究者間の「知の広場」というサイトを立ち上げました。産学連携は今後どうしても必要になると思いますが、結局、研究者本人の研究レベルがしっかりしていないといけません。自分自身が「すごい」と言われるような専門家にならないとダメで、それが基本。そのための研究推進のプラットフォームです。
2018年7月にはiPSポータルと包括連携協定を結びました。iPSポータルが、研究者個人レベルでなく、医学部全体と協定を結んだのは初めてだそうです。新潟大学医学部は百数十年の伝統があり、新潟全域はもちろん、秋田、山形、福島、群馬など。非常に広い領域を担当してきた歴史があります。地域医療に貢献する中で、そこで発生する疾患全部に対応できる医師が育つというのが新潟の一番の強み。首都圏は専門店でもOKですが、新潟大学は総合デパートでないと役割を果たせないですから。そこに地域全体の膨大な患者資産といいますか、医療資産が蓄積されています。その新潟の医療資源を、企業のニーズとマッチングしていく、そういうところをiPSポータルにも手伝っていただいて共同研究を活性化したいと思っています。

Q4.新潟大学医学部を目指す学生に求める心構えメッセージ。

コミュニケーション力、共感力。もっと簡単に言えば、親切さ。医者の一番重要なものは親切さだと思います。困っている人に寄り添う、そういう親切さが一番重要。これから新しい技術がどんどん入り、医療も変わります。例えばAIが入ってきて、画像処理とか、診療に関する知識とか、機械ができる部分が増えます。そういう技術を使いこなしつつも、一方で患者さんの話を十分に聞くことができる、人間としての能力がより重要になってきます。
受験を突破する能力は大事ですが、医師としての適性はそれだけでははかれません。我慢できること、持続できることも医師人生で重要な要素。高校時代の様々な経験を通して、人格を涵養すべく、自分自身を徐々に育てていくことが必要です。
加えて、上手下手ではなく、好きになって没頭できる力が重要です。好きにならなければ絶対に上達しません。「好き」「熱中できる」はとても大事な要素です。医学の勉強も、研究も、好きで熱中している人にはかないません。大成する人はそれをやること自体を好きになれる人。ぜひ自分がやることを好きになる、熱中するという体験を重ねていってほしいです。

関連リンク 新潟大学ホームページ

そめやとしゆき
染矢俊幸先生 略歴

学歴
昭和58年3月 東京大学医学部 卒業
平成2年9月 医学博士(滋賀医科大学)

職歴
昭和61年7月 滋賀医科大学医学部附属病院 助手
平成5年4月 滋賀医科大学保健管理センター 講師
平成10年1月 新潟大学医学部精神医学分野 教授
平成26年2月 新潟大学医学部副学部長
平成26年4月 国立大学法人新潟大学評議員
平成30年2月 新潟大学医学部長
平成30年2月 新潟大学医歯学系長

受賞
新潟日報文化賞(学術部門)(第68回)
日本臨床精神神経薬理学会学会賞(第16, 21, 22回)
日本臨床精神神経薬理学会学会奨励賞(第11, 13, 15, 17, 18, 22, 23, 24, 26, 27回)
日本臨床薬理学会学術総会優秀演題賞(第26, 32, 33回)
臨床薬理研究振興財団賞学術論文賞(第24回)

学術活動
Pacific Rim Association for Clinical Pharmacogenetics (環太平洋臨床薬理遺伝学会)名誉理事長,日本臨床精神神経薬理学会理事長,日本精神科診断学会前理事長,日本神経精神医学会理事,新潟医学会会頭,他

社会活動
新潟県精神保健福祉審議会会長,新潟市精神保健福祉審議会会長,新潟県精神保健福祉協会会長,新潟県精神科医療機関協議会会長,新潟県医師会理事,他